1999年マインブルク(ドイツ)の旅

 
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 1999年8月末、守谷市スポーツ少年団の随員(サーカーコーチ)として、守谷市と姉妹都市となっているドイツ南部のMainburg:マインブルク市へ行った。マインブルク市は、バイエルン州の州都ミュンヘン北方約75kmの位置にあり、ホップの栽培が盛んな田園の町だ。 また、マインブルクの帰路にはロマンティック街道の宝石と呼ばれるローテンブルクへ立ち寄った。
 蛇足であるが、日本ロマンティック街道なる呼称があり、私の田舎(群馬県吾妻地方)はその中央部にあたる。

 さて、守谷市とマインブルク市の関係は、1988年守谷町(当時)に進出したアサヒビールの仲介によりホップの町マインブルクとのつきあいが始まり、1990年に姉妹都市の提携調印をしている。以後、守谷市の国際交流を通じてスポーツ・文化交流が続いている。スポーツ少年団のサッカー交流も99年が3回目の訪問となった。
 2010年11月3日は、姉妹都市20周年にあたる。
 私は、たまたま息子が小学校の時にサッカーをしていた関係で、スポーツ少年団に関わり、息子が卒業してもコーチという名目で残されていたこともあり、交流の報告書を作成するため一緒に行くことになった。当時はスケッチも旅先のものとしてとらえていたので、とりあえず道具は持参する程度のことだった。下のスケッチは、写真から起こしたもの。

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マインブルク市庁舎 F3  地図 map (google earth表示)
Mainburg Rathaus

マインブルク市庁舎(写真上)は、1952年当時の
市庁舎で、現在の庁舎と同じである。
 
マインブルク市の紋章は、”白樺とホップ”

守谷 vs FCマインブルク


マインブルクの民家 F3  地図 map (google earth表示)

 マインブルク市内の一般的な民家であり、私がホームステイ先として2泊3日お世話になったアンネリーゼさん宅。
 Mainburgから南西に約5kmのSteinbach:シュタインバッハのホップ農家(ノイマイヤーさん宅)を訪ねた。ちょうど収穫期を向かえているホップの刈り取りが行われていた。ここは団員のホームステイ先でもある。


ラウレンチウス教会 F3 地図 map (google earth表示)
St.Laurentius Kirche Mainburg

 St.Laurentius Kircheは、マインブルク市中心部の北西に位置しているFC Mainburg や 宿泊したユース(Schuler wohnheim)から正面に見える教会で、毎日眺めていた(写真右)。2泊したあと各自ホームステイも2泊することになるのだが、私が泊まったアンネリーゼさん宅もこの教会のすぐ近くだった。ただし教会内部には入っていない。


レーゲンスブルク大聖堂 F3 地図 map(google earth表示)
Regensburg Cathedral

 ドナウの流れに沿って、2000年の歴史を誇るドイツ最古の都市のひとつ、レーゲンスブルク。ドイツのメルヘンのイメージとは違った異色の雰囲気が織り交ざるその町並みは、2006年にユネスコの世界遺産に登録され、名実共にドイツを代表する観光都市となった。2本の尖塔をもつ、高さ100mを超えるレーゲンスブルク大聖堂、ドイツ最古の石橋などの観光スポットはもとより、ドナウ沿岸の旧市街そのものが町の見所となっており、レーゲンスブルガーソーセージなどの名物も人気となっている。
 
古代ケルト人の居住したこの地域、レーゲンスブルクとしての起源は、176年にローマ帝国軍の駐屯地となったことに始まる。その後、6世紀にはバイエルン民族が移り、8世紀後半にはフランク王国の支配下に。それ以降政治・経済の中心として繁栄を続け、13世紀には自由帝国都市としての特権を認められる。またこの時期に町のシンボル、大聖堂の建造も始まる。その後も神聖ローマ帝国の帝国議会が開催される都市としても、たいへん重要な役割を果たした。現在では、第二次世界大戦で戦災を免れた古代からの建造物などの残る、歴史の深い町として世界遺産に登録されている。 


ドナウ河畔に建つ古都レーゲンスブルグの大聖堂


ローテンブルク 地図 map
 ゲルラッハ鍛冶屋
Rothenburg Alte Schmiede

 ローテンブルク(Rothenburg)は、人口12,000人。城壁に囲まれた中世の宝珠と呼ばれるロマンティック街道沿いのドイツ観光の目玉であり世界遺産でもある。
 1631年10月、スウェーデンのテリー将軍率いる16万のカトリック軍に攻められ3日目に占拠される。焼き払われそうになるが、テリー将軍の喉を潤してくれた娘への返礼として、3.25g入りのワインジョッキを一気に飲み干すことができる市民がいれば、これを許すとして告知。そこでヌッシュ老市長がこれを受けて立ち、みごと一気に飲み干して町を救った。
 市庁舎に、毎日午後3時になると、この一気飲みを演じる仕掛け時計が動き出す。
 スケッチは、城壁のすぐ内側に建っているアルテ・シュミーデ(古い鍛冶屋)またはゲルラッハ鍛冶屋という愛らしい建物で、現在は民宿になっていて宿泊することもできるそうだ。城壁は回廊となっていてそこを歩くことができる。


ローテンブルク 地図 map
Rothenburg 西門から旧市街地を臨む
 
 ローテンブルクは、日本人に最も人気のあるドイツの町。ドイツ観光の代名詞とも言えるロマンチック街道最大の観光地で、常に世界中から訪れる観光客を魅了する空気に包まれている。ローテンブルクとは、ドイツ語で"赤の城塞"の意味。その赤色の屋根が作り出す中世の町そのままの雰囲気が市壁に囲まれた旧市街いっぱいに広がる。
 そのローテンブルクを訪ねたのは8/27のこと。その朝、マインブルクの関係者に見送られ、バスでローテンブルクへ向かった。昼食後、聖ヤコブ教会、そして、市庁舎を見学。市庁舎では、マインブルク市のエッガー市長(当時)からの依頼もあり、全員で3.25g入りワインジョッキを回し飲みした。ローテンブルク旧市街地は城壁によって囲まれている。この城壁を通れる箇所が東西南北で4箇所ほどある。町の西側は川で崖(タウバー渓谷)となっているため、城壁の回廊は東側がメイン。西門(ブルク門)を出たところは展望台となっていて旧市街地の一部が展望できる。写真でもよく紹介される景色だ。ローテンブルクでは、Prinz Hotelに泊まった。