京都 八坂の塔(法観寺) Kyoto HOME
八坂の塔、京都東山を代表するこの五重塔は「法観寺」という正式名称では呼ばれず、古くは「八坂寺」と言われたことから、地元では八坂の塔と呼び親しまれている。 法観寺は、その境内が狭く、とても敷地内ではスケッチ場所がない (一度も入っていないので確認はしていないが)。 |
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2009.2.28 八坂の塔 F4 地図 map ![]() |
この日二ヶ月半ぶりで京都へスケッチに出かけた。場所は特に決めていなかった。とりあえず府立植物園で梅でも見て、次は適当にと。 八坂の塔(法観寺)はこれまでに何度か描いた。京都にあってあまりにも有名なこの五重塔は、描くポイントが少ない。円山公園から清水寺へたどる道をいつものように歩いた。 途中、二年坂の手前で山の手に上がる小道を発見?とりあえず登ってみた。すると、結構いい場所じゃないか!八坂の塔が目の高さの位置にある。これで電柱さえなければ。 当然写真ではどうにもならないが、絵ならば電柱は消せばいい。と言うことでメインストリートから30mほど坂を上ったほとんど観光客が来ない場所でゆっくり描くことが出来た。電柱で隠れている背景を移動しつつデッサンしているうちにいつの間にかずいぶん幅広い小道となってしまった。 岸本信夫さんは、町並みを好んで描いていますが、この同じアングルをHPで見つけましたので、勝手に紹介します。 |
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ここは別名”龍馬坂”と呼ばれているらしい。1867年(慶応3年)11月18日、河原町の近江屋で刺客に襲われ命を落とした、坂本龍馬、中岡慎太郎、山田藤吉の3人の葬儀がとり行われました。3人の遺体は勤王の志士の聖地である霊明神社の境内に葬られる事となり、この道を通って霊山へと運ばれました。大勢の人達が見送ったと言われる。 |
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2008.07.19 ねねの道 F4 地図 map ![]() |
昨年7月にも同じ場所でスケッチした。同じ構図ではあるが、舞子姿に扮した観光客が立ち止まるので思わず描き込んだ。 前回は「八坂の塔」と題したが、今回は舞妓さんもいることから?「ねねの道」とした。 |
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2007.11.24 八坂の塔 F4 地図 map ![]() |
八坂の塔のスケッチポイントは決して多いとは言えない。まして紅葉の季節は人の波となる。この場所は、高台寺などの駐車場がある高台斜面。こんな場所でも、絵を描いていると、撮影ポイントと思い、観光客が近づいてくる。 電線や鉄筋コンクリート立ての建物は消した。 |
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2007.09.16 八坂の塔 F4 地図 map ![]() |
八坂の塔、昨日描いたばかりだが、このスケッチポイントも逃すわけにはいかず、二日続きで来てしまった。小雨模様の日だったが「ここで絵を描いてもいいですか」と参道脇の一般住宅の軒を借りて仕上げた。 |
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2007.09.15 八坂の塔 F4 地図 map ![]() |
9/15は、桑名市(三重県)の照源寺へ測量の大先輩である陸地測量師館潔彦の墓参りに行った。 桑名には、ジョサイヤ・コンドルの洋館(六華苑)もありそれを描くつもりもあったが、大雨で墓まりだけすませて新幹線で京都へ戻った。 天気予報通り雨は紀伊半島特に三重県に集中しており、京都は陽が差していた。以前から描きたいと思ったアングルでスケッチした。 上の写真はほぼ同じ場所から撮った(2008/3/14)もので、恒例の京都東山「花灯籠」。 |
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2007.07.08 八坂の塔 F4 地図 map ![]() |
八坂の塔、京都東山を代表するこの五重塔は「法観寺」という正式名称では呼ばれず、古くは「八坂寺」と言われたことから、地元では八坂の塔と呼び親しまれている。 法観寺は、その境内が狭く、とても敷地内では絵を描くことが出来ない。いろいろ周囲をめぐってスケッチポイントを高台寺のある通称「ねねの道」からと決めた。 描き始めてすぐに5歳くらいの男の子が立ち止まり、ペン書きし始めた絵を眺めてしばらく離れなかった。男の子のお母さんは、困っていたが、根気強い?その子は、20、30分もその場にいただろうか、なかなか色を着けてくれないことに諦めたのか残念そうに立ち去った。 |