東京 Tokyo                                 HOME






浅草雷門
2010/12/5
台東区


愛宕山櫓
2010/9/20


江戸城富士見櫓
2010/9/6


硫黄島
2010/2/1
小笠原村


硫黄島
2010/1/31
小笠原村


銀 杏
2008/10/20
小平市

2010.12.5 浅草雷門 F4 地図 map
Kaminarimon Gate (Senso-ji
 
 浅草寺(せんそうじ)の風神・雷神の像を安置する雷門は、浅草(あさくさ)のシンボルだ。本来は風雷神門というそうだ。10年ほど前に訪れたことはあったが仲見世を覗いたぐらいで雷門の印象も特にない。
 TXが開通してもう何年にもなるがそう言えば行ってないな〜。って感じで、混雑する時間を避けるため早朝に出かけた。TX浅草駅を降りたのは初めてのことだった。 あ、ちなみにTXとは「つくばエクスプレス」のことで、「秋葉原」と「つくば」を結んでいる。つくば在住の同僚に言わせれば、「TXじゃなくてMXだよ」。TXの茨城県玄関口「守谷」止まりの列車が多いからだ。
 さて、雷門のスケッチであるが、正面は車道であるが、中央には2車線の中央分離帯があり、スケッチポイントとなる。ただ、陽があたらないため寒かった。







2010.9.20 愛宕山の測量櫓 F4 地図 map
 下記江戸城富士見櫓と同じ時期の三角測量のための測量用の櫓(ルイクレットマン撮影)。



2010.9.6 江戸城富士見櫓 F4 地図 map
 
 明治4(1871)年明治新政府は、工部省を設けて工学寮と測量司を設置、翌5年3月英人マクビンを測量師長として、東京府下内外13箇所の三角点の三角測量に着手した。その第一着手箇所が江戸城の富士見櫓である。
 江戸城にはかつて五層の天守閣があったが、明暦の大火のときに焼失してしまい、再建されなかった。いわば天守閣の代わりを務めていたのが 高さ15.5mほどの三層の富士見櫓で、万治2年(1659年)に再建されたものが今に残っている。江戸城の建物の中では、現存する貴重な建物です。
 工部省測量司はその富士見櫓の屋根を突き抜けた測量用の櫓を作成し、測量の基点とした。
 このスケッチ?は、右の写真を元におこしたもので、写真の撮影は1872年モーゼルとなっている。



2010.2.1 硫黄島 F4 地図 map 東京都小笠原村
Iwoto 摺鉢山から硫黄島中央部を望む
 硫黄島には一般住民はいない。自衛隊と海上保安庁の航空基地があり、基地職員と基地施設の維持管理等を行っている工事関係者がいるだけだが、およそ300人が常駐しているようだ。
 硫黄島の最高峰は摺鉢山(スリバチヤマ)で標高は約169m。前日の作品は、基地周辺から摺鉢山を描いたが、このスケッチは逆に摺鉢山から基地方面を描いたもの。ただし、この絵は、写真を見ながら自宅で描いたもの。
 太平洋戦争の激戦地硫黄島。この海岸に米軍が上陸した。

 硫黄島は、全体に地温が高く、多くの噴気地帯、硫気孔がある。島内各所で小規模の水蒸気爆発を起こす。島の隆起を示す海岸段丘や断層崖があり、異常な速さで隆起が続いている。
http://www.seisvol.kishou.go.jp/tokyo/329_Iojima/329_index.html
 (気象庁のHP)


2010.1.31 硫黄島 F4 地図 map 東京都小笠原村
Iwoto  自衛隊宿舎付近から摺鉢山を望む
 2010年1月末から2月頭にかけて出張で硫黄島へ行った。
 硫黄島は、本州の南方約1,200kmにある火山島で、東京都小笠原村に属している。島は直径約10kmのカルデラの中に形成された後カルデラ火山の山頂部で、海岸線に沿って階段状に海成段丘が発達分布する地形を示している。硫黄島は日本で最も地殻変動の激しい場所の一つである。
 ねぐらも食事も自衛隊基地に頼る以外この硫黄島での生活はできない。
 自衛隊の朝食は朝6:00から。しかし隊員たちはもっと早くから食べている。朝食後の30分ほどの時間を使って、3日間ほどかかってスケッチした。日ごとに朝の色合いが変化するのだが。




2008.10.20 銀杏(東京) F4

 東京都小平市、西武国分寺線「一橋学園駅」周辺には、一橋大学をはじめ、警察学校、国土交通大学校や専門学校などが集中している地区がある。銀杏並木がその各学園と住宅街との境界をなしているようにさえ見える。元々は陸軍の敷地だったようだ。
 晴天の早朝に絵を書き始めたが、仕事もあり翌日にも続きを・・・、ところが翌日は曇天だった。2日目も仕上がらず、結局写真を見ながら完成させたためか色表現はさっぱりだ。