群馬県 吾妻地方 Gunma Pre. Agatsuma           HOME

 群馬県の吾妻(アガツマ)地方は私の故郷です。昨年(2009年)からしばしば帰省していますので、スケッチも吾妻地方のものが増えてきました。もう少し幅広く歩くと良いのですが、どうしても田舎の近くを巡ってしまいます。
 吾妻地方は、日本ロマンチック街道(長野県小諸市より軽井沢町を過ぎ、群馬県草津町、沼田市を経て、栃木県日光市までの全長約230Kmの街道)のほぼ中央部にあります。今後は少し幅を広げて、ロマンチック街道沿いに水彩画スケッチを描いてみたいと考えいます。ロマンチック街道の名称はドイツのロマンティック街道に由来している。(ロマンチック街道ローテンブルクのスケッチ
 また、吾妻地方には、「吾妻八景(アガツマハッケイ)」という吾妻観光連盟が指定したとされる景勝地がある。その吾妻八景は、
吾妻渓谷、浅間山、岩櫃山(イワビツヤマ)、草津白根山、四万の渓流、嵩山(タケヤマ)、田代湖、野反湖(以上あいうえお順)



リンゴの花咲く里
2012/5/4
東吾妻町

吾妻線
2012/3/19
東吾妻町

菜の花と応永寺
2011/11/26
東吾妻町

旧大岩学校
2010/11/21
中之条町

四戸の石舞台古墳
 2010/8/9
東吾妻町

湖面2号橋
 2010/6/13
長野原町



嵩 山(吾妻八景)
2010/5/1
中之条町



桜と雪と応永寺山門
 2010/4/17

東吾妻町



紅梅と応永寺山門
  2010/3/20

東吾妻町



岩櫃山(吾妻八景)
2009/11/2

東吾妻町



丸 岩
2009/11/1

長野原町



岩櫃山(吾妻八景)
2009/10/11

東吾妻町

神代杉
2009/7/19 東吾妻町

吾妻渓谷(吾妻八景)
2009/5/3 東吾妻町

応永寺山門
2008/8/12 東吾妻町


2012/5/4 リンゴの花咲く里
F4 地図 map
群馬県東吾妻町

 五月の連休は、リンゴの花の季節。花の色はリンゴの品種によって異なるようだが、リンゴの品種そのものが判らない私にとって、花の色合いなど、なお判らない。





2012/3/19 吾妻線
F4 地図 map
群馬県東吾妻町

 一時、中止となっていた「八ツ場ダム」工事だが、本体工事以外は着々と進んでいる。ダムサイト直下の東吾妻町岩島地区では、JR吾妻線の付け替え工事がほぼ完成しており、残すはレール敷設と電線の取り付けのみとなっている。
 現在の吾妻線は、吾妻川左岸にあり、吾妻渓谷を過ぎて川原湯温泉駅手前で右岸へ渡る(その後また左岸へ移る)。付け替え工事は、岩島駅と長野原草津口駅間の約
10.4kmで、スケッチは、岩島駅から約1.2kmの岩島第二小学校(平成11年廃校)付近の松谷下組踏切から見た「吾妻川第2橋梁」です。ここから右岸へ移り、吾妻川を渡るとすぐにトンネルに入る(写真右)。

 スケッチの橋は「PRC斜版橋」という世界的にも珍しく景観に配慮した構造と言うことですが、コンクリートの巨大な建造物で景観を無視したものと目に映ります。そう言えば、岩島駅の目の前には、さらに景観を壊す大きな鉄塔があります。新潟の柏崎刈羽原発とつながっているそうです。
 失われゆく吾妻谷の風景、日本一短い「樽沢トンネル」も付け替えに伴って無論廃線となります。その前に一度列車に乗って景色を楽しんでみてはいかがでしょうか






2011/11/26 菜の花と応永寺
F4 地図 map
群馬県東吾妻町

 応永寺山門のスケッチは4度目。
 この景色は日付としている11月では無論ない。菜の花と桜が一緒に楽しめるのは4月だ。写真を撮影したのは2011/4/16。写真を見ながら絵にしたのが2011/11/26である。
 この絵は2012年の年賀状用に描いた物だ。


2010/11/20 旧大岩学校
F4 地図 map 
群馬県中之条町
 明治12年(1879年)に建築された旧大岩学校は、中之条町指定重要文化財となっている。
 大岩集落の人々が明治初年の学制発布を受け、子弟教育の重要性を解し村中の協力で建てたもので建築当初の姿が現存するのは県下でも極めてめずらしいという。
 大岩地区はその名前の通り大岩(写真下)の南面に位置する。JR吾妻線中之条駅から沢渡(サワタリ)温泉を過ぎ、若山牧水で有名な?暮坂峠への途中にある。(暮坂峠は、旧六合村(2010/3中之条町と合併し、現在は中之条町)との境であり、日本ロマンチック街道ともなっている)
 大正11年10月に若山牧水が暮坂峠から沢渡温泉へ行く途中立ち寄り歌を詠んだこともあり、別名「牧水会館」とも呼ばれている。






2010/8/9 四戸の石舞台古墳
F4 地図 map
群馬県東吾妻町
 群馬県は、全国屈指の古墳県で、総数で見ると奈良県に次ぐ多さとされている。私の故郷である吾妻地方も東毛(群馬県東部)には及ばないが、数多くの古墳が残されいる。
 上毛古墳総覧によれば吾妻郡内に274基、そのうち旧吾妻町には174基、内、旧岩島村には46基(昭和10年調査)となっている。(引用文献:岩島村誌)
 スケッチに何度か描いた岩櫃山を眺望する四戸(シド)には21基が確認されていたが、現在は5基である。
 この古墳は、旧岩島村の第13号古墳(現在は四戸の第3号古墳)で別名”らいでん塚”と呼ばれていた。古墳の規模としては、長さ3.6m高さ1.5m程度と小さいが、道路脇にあり、封土が失われて石室まで丸見えの状態となっていてとかく目立つ。私はこの古墳を”四戸の石舞台古墳”と勝手に呼んでいる。

 東吾妻町のHPには四戸古墳群として紹介されている。

背景は岩櫃山


2010/6/13 湖面2号橋 
F4 地図 map
群馬県長野原町
 見覚えのある風景かもしれない。
 群馬県の八ツ場(ヤンバ)ダム湖面2号橋は、昨年(2009)9月、政権交代の象徴として、テレビ画面にたびたび映し出された十字架状橋である。今7月1日に橋桁がつながり式典が行われたそうである。(下の写真は、2010/7/10撮影)
 この絵は、昨年11月に「丸岩」を描いたときに撮影した写真からスケッチ?した。丸岩のスケッチ場所から反対方向を振り向くとこの工事中の橋が見えていた。

 ダムの現状は、以下を参照下さい。
 八ツ場(ヤンバ)ダム工事事務所HP
 



2010/5/1 嵩 山 F4  地図 map
群馬県中之条町 (吾妻八景)
Mt.Takeyama(Gunma prf.)
 嵩山(たけやま)は、標高789mの独立した山で、中之条町のシンボルのひとつとなっている霊山であり、岩櫃山とともに吾妻八景の一つである。
 嵩山の呼び方は竹山とは異なる、と言うか区別されている。前者は、たけやまの”た”にアクセントがあり、後者はフラットである。
 スケッチポイントは、嵩山のほぼ真南で吾妻川右岸の東吾妻町岩井交差点。嵩山そのものは中之条町にあるが対岸は東吾妻町である。
 毎年5月には中腹から麓にかけてロープが張られ、鯉のぼりが泳ぐ。このスケッチでは鯉のぼりは省略した。
 未だに登ったことがないのでそのうちにと考えている。



2010/4/17 桜と雪と応永寺山門 F4 地図 map
群馬県東吾妻町
Oeiji(Gunma prf.)

 一月前には、紅梅と山門をスケッチした。今回は桜。ちょうど満開を迎えたが、41年ぶりという雪。この日の朝は10cmほど重たい春の雪が積もった。この応永寺の桜も雪のため、枝が折れた。
 応永寺山門のスケッチは3度目になるが、いつもほとんど同じアングル。スケッチポイントは、駐車場であり、南向きの山門は午前中の陽のあたりがいい感じなのだ。
また、夏は桜の木陰となり、結局いつも同じ場所で描いている

 三門と山門(南禅寺のページ) 
 応永寺山門といつも記しているが、「山門」、「三門」どちらが正しいの?私には詳しいことは判りませんが、元々山地の寺院の門で山門と呼称。正面玄関としての意味で三門と呼称。結局わからん。応永寺の場合は山門で良さそうです。


2010/3/20 
紅梅と応永寺山門
 
F3 地図 map
群馬県東吾妻町
Oeiji(Gunma prf.)
 我が家の菩提寺である応永寺(オウエイジ)のスケッチは2度目で、前回は、2008/8/12ちょうどお盆で帰省した時に描いた。今回は、春の彼岸の時期で山門前には、紅白の梅が咲き誇っていた。
 昨年夏に倒れた母を父と共に田舎へ連れ帰った。春の訪れもあり何とか二人で生活できるだろうと決断した上のことだが。月に一度は、父母の生活確認と通院のため、帰省することになるだろう。その都度一枚の絵が描けると好いと考えている。
 さて、次回の応永寺は、桜が良いか、それとも菜の花か?
 応永寺は鎌倉時代の応永年間に、真田氏で有名となった岩櫃城主斉藤氏が開基した。岩島村誌に由れば吾妻郡内有数の巨刹で、甘楽郡南蛇井の最興寺の末寺とされ、釈迦如来を本尊とし、その外に薬師如来、馬頭観世音、虚空蔵菩薩を安置している。応永寺のある岩島地区は特に禅宗の寺が多い。禅宗と他宗との違いは、武将の厚い帰依によって建てられたと言う特色を持っていることである。応永寺は、曹洞宗の寺である。 


2009/11/2 岩櫃山 F6 地図 map
群馬県東吾妻町 (吾妻八景)
Mt.Iwabitsu
 今回のスケッチ場所は、先月にも描いたポイントから西側に1kmほどの写真を撮った四戸(シド)から見た岩櫃山である。スケッチポイントと言ったが実際は、朝、写真を撮りそれを元に描いたものである。ただ、この場所からは何度かスケッチを行っており、雰囲気は十分わかっている場所でもある。この日の朝は、岩櫃山の中腹に霧がとどまり、幻想的な佇まいを見せていた。

  この絵には表現できていないが、岩櫃山山麓と手前の畑との間には、吾妻川が流れている。吾妻川は昔、5寸釘が一週間で溶けてしまうほど酸性が強く、鉄筋コンクリートの橋ができないほどでした。小さい頃、擦り傷などをつくると「川に行って洗ってくれば直る」などと本気で言われたものです。今は上流の品木ダムで石灰を流し中和させている。この品木ダムも八ッ場ダムがらみで最近話題になっている。
 私の実家付近から見える岩櫃山(写真)の風景を紹介する。工事中のこの道路は、「八ッ場ダム」本体工事のための作業道となるもので、少なくともこの山際を走るこの道路だけは完成させてほしい。このまま放って置かれては、大雨などの時の土砂流出が心配だ。

2009/11/1 丸岩 F6 地図 map
群馬県長野原町
Mt.Maruiwa

 吾妻渓谷から吾妻川沿いに国道145号線を草津温泉方面へ進むと左手に見える丸岩は、地元では丸岩城とも呼ばれている。その呼び名の通り、戦国時代はこの絶壁の山頂に城があったという。
 この眺めは、吾妻谷の中でも四季を問わず、すばらしい場所の一つである。

 話題となっている「八ッ場ダム」のダムサイトは、このスケッチポイントのすぐ東側である。



2009/10/11 岩櫃山 F6 地図 map
群馬県東吾妻町 (吾妻八景)
Mt.Iwabitsu

 岩櫃山(いわびつやま)は、実家の東に位置していて、2階の私の部屋からよく見える標高約802メートルの岩山です。この絵のスケッチポイントは、父の同級生宅付近で、岩櫃山の南東側となっている。左の「地図 map」をクリックしてもパソコンによって岩櫃山は表示できないが、画面を北側へスクロールすれば岩櫃山が現れる。
 岩櫃山には、1400年代から戦国時代までの約200年間、真田などの縁を引く岩櫃城が、頂上ではなくこの絵の右側(東側)にありました。
  右の写真は、四戸(シド)から7月半ばに撮ったもので、本来ならば名産「コンニャク」の葉が広がっているはずが、所有者の粋な計らいで岩櫃山の撮影ポイントとなっていた。
 岩櫃山の登山ハイキングマップ(東吾妻町HP)



2009/7/19 神代杉 
F4 地図 map
群馬県東吾妻町
Jindai-sugi
 神代杉(親子杉)は、日本ロマンチック街道沿いの群馬県東吾妻町矢倉「鳥頭神社」の境内にあり、外皮だけとなっている樹齢1400年の空洞の杉の中に樹齢250年の杉がはえており、親子杉ともよばれている。
 神代杉(親子杉)は、日本武尊のお手植えによるものと言い伝えられているが、天明3(1783)年の浅間山の噴火の際、火災にあって今は高さ6m、根本周り10m、厚さ45cmの空洞の枯木となっている。

 この神代杉は、私の生家から約4kmほど東にある。絵を描く場所は極めて限られており、国道145線を挟んで向かいの、これまた狭い歩道に折りたたみ椅子を置き描いた。歩道に椅子を置いたためスケッチしていて何度か自転車で通る私の後輩の岩島中学生の邪魔をすることになった。
 この日は、曇天の予報であったが、なぜかお天道様に照らされ続け、首筋は赤く火傷した。近くのご婦人が、缶ジュースの差しれをしてくれた。大変有り難く美味しくいただいた。
 東吾妻町のHPでも、神代杉(親子杉)を町の文化財として紹介している。





吾妻渓谷ガイド(東吾妻町HP)
2009/5/3 吾妻渓谷(群馬)
F4 地図 map
群馬県東吾妻町 (吾妻八景)
Agatsuma canyon is a place of scenic beauty
 私の生家から約3kmほど西にある吾妻渓谷(群馬県東吾妻町)は、地元では耶馬渓と呼ばれている。大分の耶馬渓を模した呼称だ。上毛カルタでは”耶馬渓しのぐ吾妻峡”と読まれている。
 吾妻川両岸の溶岩を浸食して出来た渓谷で、自然の造形美は、四季の彩りと相まって訪れる人々を魅了する。特に新緑と紅葉はお勧め。
 また、すぐ近くには、殆ど知られていない日本一短い鉄道トンネル「樽沢隧道 (7.2m 0.5秒)」がある。何年かすると完成する「八ツ場(ヤンバ)ダム」のため、このトンネルも・・・・行くなら今だよ。
 ここから下流約2kmには「天狗の湯」がある。料金は200円と格段の安さ。ちょっとお湯に浸かってみてはいかがか?また、天狗の湯の川向かいの林道?をたどると、日本三大美人湯の一つとされる「川中温泉」がある。



2008/8/12 応永寺山門
F4 地図 map
群馬県東吾妻町
Oeiji(Gunma prf.)
 応永寺(オウエイジ)は、応永年間(鎌倉時代)に建てられたというから、その歴史は古い。応永寺ってどこにあるのと場所が気になるだろう?この寺は我が家の菩提寺で、逆に言うと、我が家はこの応永寺の檀家となる。
 さて、場所であるが、群馬県東吾妻町にある。JR吾妻線「岩島駅(無人駅)」の北斜面にあり、檀家は吾妻郡全域に広がっている。曹洞宗の寺であり、本山は福井の永平寺である。
 京・奈良にでもあれば観光客で多少にぎわうのであろうが、過疎地域にあっては檀家以外めったに訪る人もいない。


 応永寺は、この絵にした山門よりも境内にある「笠松(写真)」が有名で、町の記念物に指定されている。